株式会社鈴木良工務店

株式会社鈴木良工務店
代表取締役 鈴木 勝彦
1989年3月 日本大学理工学部卒業
1989年4月 鹿島建設(株)東京支店入社
1994年8月 (株)鈴木良工務店入社
1997年9月 (株)鈴木良工務店取締役就任
2001年9月 (株)鈴木良工務店代表取締役就任、現在に至る
1989年3月 日本大学理工学部卒業
1989年4月 鹿島建設(株)東京支店入社
1994年8月 (株)鈴木良工務店入社
1997年9月 (株)鈴木良工務店取締役就任
2001年9月 (株)鈴木良工務店代表取締役就任、現在に至る

ストーリー

建てる前から、建てた後もずっと、
“建ててよかった、頼んでよかった”を目指して。

自然と選んでいた、祖父と父と同じ道。

 私の小さい頃の遊び場は、祖父の鈴木良が創業した工務店の自宅兼会社の資材置き場でした。鉄筋や材料の上を歩いたり、トラックで運ばれてきた砂の山を登ったり。そこは現在本社ビルが建っている場所です。
 私が子どもだった昭和40年代は、祖父も健在で父も祖父の会社で働いていました。父の休みは第1、第3日曜日だけ。ほとんど休みもなく、毎日作業服を着て現場に出かけていく父の姿に、幼い頃は同じ仕事をしたいと思いませんでした。
 それでも高校生の頃から自然と建築に興味を持ち始め、大学進学で選んだのは建築学科。卒業後は東京で就職し、新宿の都庁周辺の山之内西新宿ビル、新宿パークタワーなど、日本を代表する大規模建設工事に携わりました。新宿パークタワーの3年半の工期が終わった時、現場の所長から「実家に戻るなら、今がいいタイミングなんじゃないか」という言葉に心が揺れたことを今でも鮮明に覚えています。

写真
左:本社の駐車場脇に現在も保管している、1948年の創業当時に祖父が使っていた大八車。右:弊社が手がけた茨城県小美玉市のタカノフーズ株式会社物流センター(鉄骨造2階建)。
写真
上:本社の駐車場脇に現在も保管している、1948年の創業当時に祖父が使っていた大八車。
下:弊社が手がけた茨城県小美玉市のタカノフーズ株式会社物流センター(鉄筋造2階建)。

実家を継ぐことを決めたのは、意外な父の言葉でした。

 帰省した際将来の事を父に相談すると、「サラリーマンを続けるのも、家の仕事を継ぐのも人生。自分に悔いのない方を選べばいい」と言ってくれました。しかし、父の言った最後の一言で気持ちが変わりました。それは「自分の代で商売をやめたら、今まで何十年とうちに頼んでくれていたお客様の仕事ができなくなるのが申し訳ない」という言葉でした。自分や会社のことではなく、お客様のことを第一に考えるこの父の想いを知り、胸が熱くなり覚悟が決まりました。
 27歳で水戸に戻り最初に手がけた仕事は、タカノフーズ株式会社の納豆の研究施設と納豆博物館でした。
 その後も茨城県庁関連の工事や新大洗水族館など大きな現場の仕事もしましたが、東京で経験した仕事のおかげで現場の規模に圧倒されることはありませんでした。大きな案件にも怯まずに取り組めたのは、東京での経験が活かされたのだと思います。

写真写真
鈴木良工務店本社ビル。ビル内の清掃はもちろん、敷地内の掃き掃除も社員で行っている。

現場をきれいにすること、それはお客様の満足に繋がっています。

 32歳の時上甲晃氏※の運営する青年塾へ入塾しました。そこで教わったのは人として当たり前のことでした。そして身のまわりをきれいにすること、トイレをきれいにすることはすべてに繋がることを再認識し、早速社内でも実践しました。特に力を入れたのは現場のトイレ掃除です。畳半畳ほどの小さなスペースをきれいにできないようでは現場やその周りをきれいにすることなどできません。現場に行くと必ずトイレをチェックし、きれいの感覚が違うと感じれば一緒にトイレを掃除し、きれいの基準を決めました。
 私たちは工事が終わればいなくなりますが、お客様は何十年もそこに住むわけです。建てた後、ご近所方々から『あそこの工事は音も埃もひどかった』、『あそこの大工さんは子ども達が学校行く時に挨拶してくれなかった』など建て主であるお客様が引渡後に言われます。気なることがあれば工事中に言ってくれればいいのにと思いますが、大抵の人は飲み込んでしまいます。現場は埃やゴミ、音も含めご近所の人に迷惑がかかります。だからこそ常にきれいにすることを心がけ、細心の気配りをすることが大切なのです。弊社では、本社やデザインオフィスCOMPASS、現場の出入口などの道路周辺も就業時間前に社員で掃除しています。

お客様に満足いただくためには、協力会社との関係も重要。

 社長就任から約10年になりますが、私が常に大切にしているのはお客様に“鈴木良工務店に頼んでよかったと思っていただくということです。それは公共施設などの大きな建物であっても、個人宅であっても同じです。自分たちの満足のいく出来栄えの建物でも、使う人や住む人に“頼んでよかった、建ててよかった”と思ってもらえなければ意味がありません。それは単に建物として良いだけでなく、社員や職人さん達も含め工事に関わるすべての人が良くなければそう思ってはいただけません。協力会社への支払いは現金で期日厳守を徹底しているのも、汗水流して働いてくれる職人さんたちに気持ち良く仕事をしてもらうことがお客様の満足に繋がるからです。
 人として企業として目指すのは、上甲晃氏の「志」。お客様との関係づくりはもちろん、協力会社とも良好な関係を丁寧に築きながら社会に貢献できる鈴木良工務店へと邁進してまいります。

「志」
みんなが幸せになってこそ、
自分も幸せになれる。
みんながそんなふうに
考えることができたとしたら
どんなにすばらしい社会が
生まれることでしょう。
回りが暗ければ暗いほど、
自分から「光る」勇気をもって
生きていきましょう。
上甲 晃
※上甲晃氏は、かつて財団法人松下政経塾の理事・塾頭、常務理事・副塾長を歴任し、平成9年に青年塾を創設。

お問い合わせ

MORE
FOLLOW US
Facebook
インスタグラム
旧ブログ[現場監督の現場ノートブック]